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Vol.728 エルトン・ジョンのコンサートを見た

エルトン・ジョンのコンサートを見た。
2022年のロサンゼルス ドジャーズスタジアム。

2時間半のライブだったが、
ほとんど知らない曲だった。


最後の方の有名な2曲くらいくらいしか知らなかった。

・「Your Song (僕の歌は君の歌)」

・「Goodbye Yellow Brick Road」


公式:https://www.youtube.com/watch?v=wy709iNG6i8
歌詞:https://sodalyrics.com/elton-john-goodbye-yellow-brick-road/

これエルトン・ジョンで一番好き。
コンサートの最後で歌ってた。
いやまさに最後にふさわしい曲。


コンサートが終わってからは彼のドキュメンタリーも見た。

幼い頃は両親から虐待されていたそうだ。

10歳くらいの頃にピアノを弾き始め、ラジオから流れてくる曲はほとんど弾けたらしい。ピアノを弾けば認められて気に入られた。自尊心が芽生えたという。

11〜15歳の時は土曜日に王立音楽院に通い、モーツァルトやバッハ、ベートーヴェンなどを弾いた。でもバルトークになると演奏の正解が分からずクラシックのピアニストは難解だと感じた。そこで別の道を模索した。

15歳でパブで演奏を始め、1晩1ポンドの出演料でマイクとアンプを買った。

---パブでの演奏はうまくいった?
「水を得た魚さ。怖いものが無くなった」

さらにバンドを組んでインクスポッツなどのバックで演奏した。さらに本名からエルトン・ジョンに改名した。

---改名して変わった?
「一変したよ。脱皮した感じだ。成功できると感じた」

ソングライターに憧れてリバティに応募した。募集広告を見て2曲書いたが、歌詞がイマイチだった。誰にも内緒で応募した。震えながら事務所に入り、「歌詞は苦手だが旋律なら書ける」と言った。すると、無造作にバーニーの歌詞が入った封筒を渡されて戸惑った。

「あれが無ければ今の僕は無い。僕の身に起きた最大の幸運だ。バーニーとの出会いが僕の未来を決めたんだ」

歌詞を書けないという直感は正しかった。チームで作業したい。1人ではできないから相棒が必要だった。

「バーニーの歌詞は曲を書きたいと思わせた。道が開けたんだ。歌詞のインスピレーションではずみを得て曲が書ける。バーニーも僕の曲を気に入り、すぐにうちとけた。一緒に映画を観たりパブで飲んだり、レコードを聴いたりした。初めて親友ができて最高の気分だったよ」

バーニーはエルトン・ジョンの実家に転がり込み、小さな部屋の2段ベッドで一緒に暮らした。

でもエルトン・ジョンは同性愛者だった。バーニーに「病院に行け」と言われて傷ついた。相棒を本気で愛し、片割れのように感じていたが、ゲイの自覚はなく、性的な経験も無かったらしい。

最初の2年間は鳴かず飛ばずで売れそうな曲ばかり書いていたという。

でも言われたそうだ。

本気で成功したいなら好きな曲を書くべきだと。

スティーブ・ブラウンが宣伝のために加わった。ヒットを狙うより好きな曲を書くべきだと勧められ方向展開し、自分たちのために書き始めた。

スティーブの提案で敏腕のプロデューサーを探した。理想はデビッド・ボウイのスペイス・オディティだ。

プロデューサーガス・ダッジョンと編曲家のポール・バックマスターが仲間に加わった。ポールは革新的な編曲家でガスとのコンビは最高だった。


「僕はロックスターの真逆で容姿に恵まれていない。
そんな僕がやるから人に勇気を与えるんだ。
見た目や声がどうであれ、やる気があれば成功できる」


確かに彼はロックスターの中では一番ブサイクかもしれない。
ステージ衣装もなんだかダサいし。
でもそのことがかえって人々に勇気を与えていたようだ。


ジョンレノンとオノヨーコの仲を取り持ったりもしている。
ジョンとは薬物仲間だったようだ。

その後、1990年、43歳のとき、生まれ変わった。コカイン中毒からやっと抜け出す。
酒と薬物をやめてからはバイセクシャルを公表し、男性と結婚。
二人の子供にも恵まれた?!

なんというか、波乱万丈の人生だな。


でもこういうサクセスストーリーはおもしろいな。
私も作詞家の相棒を見つけるところから始めよう ♪〜(^.^)

 


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2024年08月11日

Vol.727 光栄初代三国志のあの曲の原曲を見つけた!

題名のない音楽会を見ていたら、聞き覚えのある曲が流れてきた。

光栄三国志の挿入曲(菅野よう子作、お嫁に行くときのテーマ曲)、カンブリア宮殿のテーマソングにもなってる。

このブログでも記事を過去に書いてるけど、(詳しくはこちら

もともとはクラシックだったのか。知らなかった。



G.フォーレ「パヴァーヌ 作品50(ピアノ版)」


原曲は管弦楽曲として1886年に作曲。

その後、フォーレ自身がピアノ版に編曲した。





これは衝撃だった ♪〜(^.^)




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■関連記事
200219 「Vol.633 菅野よう子さんといえば


 
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2024年04月29日

Vol.726 関ジャムがリニューアルされて8ジャムに! (宇多田ヒカル特集)

関ジャムがリニューアルされて8ジャムになりました。

初回は宇多田ヒカル特集。

気づかなくて見逃してしまったのでTVerで見ました。(5/5まで見れます)



宇多田ヒカルは100%メロ先。

メロディーは母音子音と結びついて出てくる。

母音と子音に導かれて歌詞ができていく。

そういう制約がないと(歌詞が)出てこない。

制約があればあるほど、自分で予想してなかった歌詞が出てきて「あっ、それだ!」とハマる。

制約というのは、あと文字数とか。

はめていく感じ。

そうするとこういうこと私言いたかったんだって。


宇多田ヒカルの作曲の仕方、私と似てるなぁ。





posted by 谷飛沫 at 21:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽の話 | edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2023年06月03日

Vol.725 題名のない音楽会で坂本龍一さんの追悼番組。坂本龍一さんが作曲を志したときの話(つづき)

ちょっと時間ができたので、先日の記事の続きを書きます。


前回の記事はこちら。

→ Vol.724 題名のない音楽会で坂本龍一さんの追悼番組。坂本龍一さんが作曲を志したときの話


ではさっそく、前回の続きから。




――作曲に興味を持ったってのはどういうこと?


坂本 「どういうことかなぁ。作曲を習い始めたっていうのは、非常に他力、他力というかね、自分でいったんじゃなくて、ピアノの先生に連れていかれたという、いつも消極的なんですけれどもね。

えー、だけど、中学くらいの時にベートーベンかなにかに興味を持ってね、そうすっと、まあ面白い曲なんだけど、これはどうやって作られてるんだろうって思って、それで譜面を解剖したりしてその辺から興味を持ってきたのね」


――なるほど。



坂本龍一さん、いつも思うけど、独特なしゃべりだなぁ。

こうやって文字に起こすだけでも

坂本龍一さんだとわかる。



その後、坂本さんが19歳の東京芸大時代の曲が紹介されていました。

「弦楽四重奏曲」第3楽章



坂本さんのメッセージ

“ 大学2年の時に書いた曲。
まだまだ過去の作曲家の様々な影響が混じっていて、自分独自の方向性が見出せていませんね。
それでもなんだか愛おしい気持ちがあります。

ウェーベルン、ベルク、バルトーク、デュティーユ、クセナキスなどを好んで聴いていました。
その中ではウェーベルンの影響が一番大きいですね。

とても優秀な演奏家に弾いてもらえて、
この上なく幸せです。”





坂本龍一さんも中学生の頃にベートーベンの譜面で勉強してたんですね。

すぎやまこういちさんとおんなじだ〜 ♪〜(^.^)

 


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230521 「Vol.724 題名のない音楽会で坂本龍一さんの追悼番組。坂本龍一さんが作曲を志したときの話

140610 「すぎやまこういちの勉強法


 
posted by 谷飛沫 at 12:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽の話 | edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2023年05月21日

Vol.724 題名のない音楽会で坂本龍一さんの追悼番組。坂本龍一さんが作曲を志したときの話

題名のない音楽会で坂本龍一さんの追悼番組をやってました。



その中で司会の黛さんとのやりとりが紹介されてました。
(1984年8月26日 放送)

――あなたは東京芸大の作曲家という、まあ作曲家としてはね、一番オーソドックスな道をたどったわけだけど、

もともと若い時から作曲を志していたわけですか?

坂本(当時32歳) 「いや、全然志していないわけで、あのー、とりあえず他に行く大学がなかったという消極的な理由なんですけど」


――なるほど。でも、あれでしょ。音楽の勉強は若い頃からやってたんでしょ?

坂本 「11歳のときからです」


――あそう。最初はやはりこうピアノから入ったわけ? それとも作曲から入った?

坂本 「あ、ピアノから入った」


――ピアノから入って。作曲に興味を持ったってのはどういうこと?




ちょっと時間が無いので続きはまた後で。
今からオークスを見よう ♪〜(^.^)

 


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■関連記事
230514 「Vol.723 題名のない音楽会 放送2800回A巨匠・坂本龍一からの伝達


 

posted by 谷飛沫 at 14:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽の話 | edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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